昭和44年11月26日 夜の御理解
御理解 第7節
「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」
御理解7節にこうありますね、信心させて頂いて、信心はせんでもおかげはやってあるとおおせられますような、おかげを信心してそれをおかげと分からせてもらう、そこから神御報謝の生活ができる。その神御報謝の生活そのものが、またこれはまた特別のおかげが受けられる受けものになるわけです。もう言えば簡単なことなんですけどね、信心はせんでもおかげはやってある。でも最近言われておりますね。
空気そのものが神様の身姿だと。と言う事になりますと、それこそ信心があろうが、なかろうが一応みんな神様の御恩恵によくしとるわけなのです。それを信心させて頂くようになって、それを実感的に分からせてもらうようになる。吐く息、吸う息、本当に神様が心の中に、体の中に体内に入っていって下さっておる。そうゆうふうにそれが実感として有り難いと、もう何を見ても何を聞いても自分の周囲は神様のお働きでいっぱいだと感じさせてもらうところから神御報謝の生活ができるというのが信心。
その神御報謝のその心に、私はおかげが受けられるのがね、信心させて頂くものが、教祖は信者を氏子と呼びかけて下さっとるが、信者氏子が特別に、また特別のおかげ、まぁいうならば限りなく無尽蔵に願わんでも頼まんでも頂けれる、人間の幸せがいっぱい頂けれるそのおかげ。それは信心をせんでもおかげはやってあると仰せられるようなおかげが信心をすることによって分かる。ところが信心を頂いてもここんところがいつまでたっても分からない人がある。
いわゆる心の目が開けない人がある。本当にここんところをですね、実感的に神様のおかげを。例えばひとすくいの水の上にも、一粒のお米の上にでも目には見えないけども、この空気全体が神様の身姿として頂けるようなときに、空を仰いで深呼吸するときに、もう本当に実感的に神様を自分の体に感ずる、心に感ずる。そこに神御報謝の心。生かされて生きておる。有り難いなぁ。もったいないなぁという心が頂ける。そうゆう心におかげがあるのでございます。
ですからそういうその実感として、おかげが受けられることのために、やはりまぁ今ここで修行しておる方達が、今日から一週間、寝らずの修行をするという人がありますね、または今日ある方は、断食のおかげを頂きたいというて、最近信心の稽古というか、修行の稽古というあの御理解を頂いてから、それが次々皆さん、修行を始めておられます。様々な修行を。それはもう本当に、ここの修行をしております、末永さんがそのお届けをするんですよね。
今日から一週間、寝ずの修行をしますっと言いながらも、一生懸命御結界でずうっと眠っとる、事務所でもずうっと。はぁもう眠らんと思ったらよけい眠なるのじゃないでしょうかね。けれども私はその心を買うですね。一週間本気でだから、そげんあんた眠りふためきせんですぐ他の修行をしなさいとは、私は言いません。やっぱしたいと言うならならいっちょん頑張ってみなさい。というておりますけども、もうそれをお取次ぎを頂いた端から眠りよる。もう一週間眠られんぞと思ったらもう眠りよる。
ですからね、例えばそう言う様な例えばできなくても、そうした修行をね、例えば断食なら断食の修行。例え一日でも一つ食を断ってみよう、と言う様なけなげな修行をさせてもらうところからです、その食物の有り難さっていうものがいよいよ実感的に分かる。いわゆる病気をしてみなければ、健康の有り難さが分からないように。私は最近とくに思うことは、私のは25,6万かかっておるおるですよね。
入れ歯が。けどもいかに100万かけましてもです、自分の頂いておる歯が一番いいです。いくら良いというても。してみるとですね、この頂いておるその歯があるならそれを本当に大事にもしなければならんが、本当に神様へお礼申しあげなならんのだけれども、有り余っておったり、持っておったりすると、それが当たり前のことのようになって、おかげがやってあると仰る。
おかげをおかげと気がつかんのですね、そこに私は信心修行の値打ちがあると思うです。断食をしてみてなるほど、植物の有り難さが分かる。寝らん修行をさせて頂いてみてです、本当に眠らせて頂くと言う事の有り難さがシミジミ分かるね、どうぞそう言う様な意味でですね、色々一つやはり信心はわが心からも、練り出すがよいとおおせられるのですから、様々に工夫してみて、ささやかながらでも。
一つ修行をさせてもらう、そこから実感的にですね、なるほど空気も神の身姿と、言った様な事がです、なるほどこの食物の有り難さというものをです、ひとつシミジミ分からせてもらう。そこから神御報謝の心。神様にいよいよ御礼を申し上げる心。そうゆう心におかげがあるのです。そうゆう心には願わんでも頼まんでも限りないおかげにつながるおかげが頂かれるのですからね。
どうぞ。